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名古屋高等裁判所金沢支部 平成8年(ネ)158号 判決

控訴人

李鍾淑

外二名

右三名訴訟代理人弁護士

松波淳一

青山嵩

黒田勇

山本直俊

斉藤寿雄

金川治人

山田博

奥村回

飯森和彦

被控訴人

株式会社不二越

右代表者代表取締役

本多正道

右訴訟代理人弁護士

島崎良夫

山崎利男

太田恒久

石井妙子

主文

一  本件訴訟をいずれも棄却する。

二  控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人ら

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は控訴人李鍾淑に対し、金五〇〇万一三八六円及び内金一三八六円に対する昭和二〇年八月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  被控訴人は控訴人崔福年に対し、金一〇〇〇万二四七五円及び内金二四七五円に対する昭和二〇年八月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

4  被控訴人は控訴人高德煥に対し、金五〇〇万一三八六円及び内金一三八六円に対する昭和二〇年一二月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

5  被控訴人は控訴人らに対し、別紙記載の謝罪広告を、別紙記載の条件で以下に揚げる各紙の全国版に各一回掲載する方法により謝罪せよ。

朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、北日本新聞(以上、日本)

東亜日報、朝鮮日報、韓国日報、中央日報(以上、大韓民国)

6  訴訟費用は、第一・二審とも被控訴人の負担とする。

7  2ないし4項につき仮執行宣言。

二  被控訴人

主文同旨

第二  事案の概要

本件は、第二次世界大戦中に朝鮮半島から女子勤労挺身隊員の募集あるいは徴用により来日し、富山市内の軍需工場において労働に従事した控訴人ら(原審原告ら)が右工場を経営していた被控訴人(原審被告)に対し、右工場で就労した間の賃金の支払を請求するとともに、右の労働は劣悪な環境下での強制労働であり、労働時間以外でも常に監視され、行動の自由が制限されていたこと等を根拠にして不法行為あるいは債務不履行等に基づく損害賠償や謝罪広告の掲載を請求した事案である。

第三  当事者の主張

当事者の双方の主張は、次にその要旨を付加するほか原判決の事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一  控訴人らの当審における新主張

仮に、本件賃金請求についての消滅時効の起算日が原判決のとおり平成三年八月二八日(日韓協定の効力についての日本国政府の新見解公表の日の翌日)であるとしても、次のとおり時効の中断事由がある。

1  太平洋戦争韓国人遺族会会長金景錫(以下「金会長」という。)は、平成四年六月二三日、被控訴人本店に赴き、戦時中被控訴人工場で働いていた被控訴人ら三名を含む韓国人労働者の未払賃金の支払を請求した。

2  控訴人李及び控訴人崔はいずれも右遺族会に所属しており、右請求に先立ち金会長にその代理権を授与し、また控訴人高については当時同遺族会に参加していなかったが、本件訴訟にあたり右請求行為を追認した。

3  本件訴えは、金会長による被控訴人らのための賃金請求から六か月以内である平成四年九月三〇日に提起された。

したがって、本件賃金債権の消滅時効は中断しており、完成していない。

二  控訴人らの右主張に対する被控訴人の認否・反論

1  右1の金会長による被控訴人に対する賃金請求の事実は認めるが、右請求が本件賃金請求についての消滅時効の中断事由となることは争う。

2  金会長は、右請求に際して控訴人らの代理人としての顕名をしていないし、請求の内容も戦時中働いた韓国人全体に対する要求をしただけであって、控訴人らの本件賃金債権に係る請求権の具体的な行使とは認められない。

三  控訴人らの補充主張

原判決は、控訴人らが債務不履行の内容となる債務の内容及び具体的な不履行の事実を主張していないとして、控訴人らの債務不履行に基づく損害賠償請求を棄却したが、控訴人らは次のとおり被控訴人の債務の内容及びその不履行の事実を主張している。

1  控訴人李について

(一) 被控訴人は、昭和一九年ころ控訴人李を被控訴人富山工場で雇用するにあたり、被控訴人の宣伝募集広告及び韓国ヨンカン国民学校における被控訴人の女子挺身隊募集担当者や日本人役人を通じて、以下の点を約束した。

① 被控訴人工場へ来れば、女学校へ行かせ、卒業証書ももらえるようにすること。

② タイプライターやミシン、生け花を習わせること。

③ 賃金は日本人の本職工と同じ扱いをすること。

④ 被控訴人工場での労働条件については、良好なものを保証すること。

(二) また、被控訴人は、昭和二〇年七月に控訴人李を帰国させるにあたり、以下の点を約束した。

① 沙理院の工場ができれば、そこで再度就労させるので、その間一か月の自宅待機をすること。

② 日本での荷物、所持品は後日送り返すこと。

2  控訴人崔について

(一) 被控訴人は、昭和一八年ころ控訴人崔を控訴人富山工場で雇用するにあたり、被控訴人の宣伝募集広告及び仁川宗花国民学校における被控訴人の従業員を通じて、以下の点を約束した。

① 被控訴人工場へ来れば、中学、高校へ通わせること。

② 賃金は日本人の本職工と同じ扱いをすること。

③ 被控訴人工場での労働条件については、良好なものを保証すること。

(二) また、被控訴人は、昭和二〇年七月に控訴人崔を帰国させるにあたり、前記控訴人李と同様の約束をした。

3  控訴人高について

(一) 被控訴人は、昭和一九年ころ控訴人高を徴用命令書により被控訴人富山工場へ強制連行して雇用するにあたり、以下の点を約束した。

① 賃金は日本人の本職工と同じ扱いをすること。

② 被控訴人工場での労働条件については、良好なものを保証すること。

(二) また、被控訴人は、昭和二〇年八月に控訴人高を帰国させるにあたり、前記控訴人李及び崔と同様の約束をした。

4  被控訴人は、控訴人らに右のとおり約束したのにもかかわらず、右の約束を一切履行しなかったので債務不履行の責任を負うことは明らかである。

四  被控訴人の補充主張

1  原判決は本件賃金請求権についての被控訴人の弁済の抗弁を排斥したが、被控訴人は控訴人らに対し遅滞なく右賃金を全額支払っており、原判決のこの点の認定・判断は誤りである。

2  原判決は消滅時効の起算点について、単にその権利の行使について法律上の障害がないというだけではなく、さらに権利の性質上、又は、債権者の個人的事情を超えた客観的、一般的状況に照らして、その権利行使が現実に期待できるものであることが必要であるとして、本件賃金請求権についての消滅時効の起算日を平成三年八月二八日としたが、原判決の右消滅時効についての解釈・適用は誤っている。

第四  証拠

証拠関係は、本件訴訟記録中の原審及び当審の書証目録・証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

第一  判断の前提となる事実経過等について

一  控訴人ら三名はいずれも朝鮮半島出身者であるところ、控訴人李は、西暦一九三一年(昭和六年)一〇月二九日生まれの女性で、昭和一九年六月に女子挺身隊員の募集に応募し、同年七月被控訴人会社に入社して、昭和二〇年七月まで富山市所在の被控訴人工場で就労した者であり、控訴人崔は、昭和五年一二月一日生まれの女性で、昭和一八年五月ころ女子挺身隊員の募集に応募し、同年六月被控訴人会社に入社して、昭和二〇年七月まで被控訴人工場で就労した者であり、控訴人高は、大正一二年五月一〇日生まれの男性で、昭和一九年一〇月徴用令書により被控訴人会社に連行され、昭和二〇年一一月ころまで被控訴人工場で就労した者である。

二  控訴人ら各自の陳述書の記載並びに原審及び当審における供述による①被控訴人工場に来るまでの経緯、②被控訴人工場で労働状況等、③帰国の経緯、④帰国後の事情等は、控訴人李については原判決七二頁六行目から七八頁末行目まで、控訴人崔については同七九頁四行目から八四頁六行目まで、控訴人高については同八四頁一〇行目から八八頁七行目までの各記載のとおりであるから、これを引用する。

三  なお、被控訴人は、控訴人らが朝鮮に帰国後の昭和二二年八月三〇日、①控訴人李を被供託者として、退職慰労金不足額として二円八四銭、国民貯蓄として四八円四一銭、預金として八七円七六銭の合計一三九円一銭を、②控訴人崔を被供託者として、退職慰労金不足額として二円八四銭、国民貯蓄として五九円五九銭、預金として一〇七円二銭の合計一六九円四五銭を、いずれも当時の富山司法事務局に供託した。

四  日韓関係等の概要及び控訴人らが本件訴訟を提起するに至った経過については、原判決八八頁八行目から九〇頁末行目までに記載のとおりであるから、これを引用する。

第二  控訴人らの賃金請求について

一  雇用関係の成立及び賃金額について

被控訴人と控訴人らとの間の雇用関係の成立(ただし、賃金額を除く。)についての認定・判断は、原判決理由説示第二の一の1及び2(原判決九一頁三行目から九三頁八行目)に記載のとおりであるから、これを引用する。

賃金額について、控訴人らは、被控訴人が控訴人らを雇用するに際して日本人従業員と同等の賃金を支払う旨約したとし、被控訴人会社における当時の従業員の平均賃金は月額九九円であった旨主張する。証拠(甲二〇)によれば、昭和二〇年八月当時の被控訴人富山工場における従業員一人当たりの平均賃金が月額九九円程度であったことが認められるものの、被控訴人が控訴人らに対して右金額の賃金支払を約した事実及び控訴人らと職種、経験等を同じくする日本人従業員の平均賃金額を明らかにする適切な証拠はない。また、控訴人らの月額賃金が具体的にいくらとされていたかを特定するに足りる証拠もない。

ただし、証拠(乙三〇)によれば、昭和一九年から二〇年当時の被控訴人富山工場における従業員の賃金額について、控訴人崔と同年代の昭和一九年に入社した女子の日額賃金が七六銭程度、昇給により昭和二〇年七月当時が一円一五銭程度であり、控訴人李と同年代の昭和一九年に入社した女子の日額賃金が七一銭程度、昇給により昭和二〇年七月当時が一円四銭程度であったこと、控訴人高と同年代の昭和一九年に入社した男子の日額賃金が一円七六銭程度、昇給により昭和二〇年七月当時が二円一七銭程度であったことが一応認められる。

したがって、控訴人らの賃金額は、いずれも右社員と同程度の額であったと推認される。

二  弁済の抗弁について

被控訴人は、控訴人らに対し被控訴人工場での各就労期間中の賃金を全額支払っており、控訴人らに対する未払賃金はない旨主張するが、右弁済の事実を裏付けるに足りる証拠はない。

もっとも、証拠(乙四二、四四、四五)中には、被控訴人会社においては当時朝鮮半島出身者も日本人も区別することなくきちんと賃金を支払っていたような記載があるが、当審証人松本眞明の証言によれば当時の被控訴人工場の従業員の賃金台帳、勤務表、預金・貯金台帳も残存していないのであるから、本件の控訴人ら三人に現実に賃金が支払われていたことを直接裏付ける証拠はないといわざるを得ない。また、控訴人李の勤労手帳(甲四)には預金額八七円七六銭との記載があり、前記のとおり被控訴人が終戦後において控訴人李及び控訴人崔を被供託者とし、賃金・給料とは異なる「国民貯蓄」や「預金」の名目で、ある程度の金額を供託していることからすると、少なくとも女子挺身隊員として募集された年少の控訴人李及び控訴人崔については被控訴人会社が右控訴人らの賃金相当額を何らかの方法で管理していた可能性は否定できないものの、控訴人ら三名は前記第一の二(原判決引用)のとおりいずれも被控訴人による賃金の支払を否定する供述をしているところであり、結局、本件全証拠によっても、被控訴人が控訴人らの賃金を実際に控訴人らに対して支払ったことを認めるに足りないというほかはない。

したがって、被控訴人の弁済の抗弁は採用できない。

三  消滅時効の抗弁について

1  控訴人らの主張に係る被控訴人対する賃金債権(本件賃金債権)は、昭和二〇年当時被控訴人会社においては従業員に対して月給制が採用されていたと認められること(甲二〇)からすると、その履行期は控訴人らが被控訴人会社で就労していた期間の毎月末日迄であったと認めるのが相当であり、本件賃金債権の消滅時効期間は民法一七四条一号により一年であると解するのが相当である。

2 民法一六六条一項は権利を行使することができる時から消滅時効が進行すると定めているところ、賃金債権については、一般に履行期の到来によって法律上の障害がなくなり権利の行使が可能になるのであるから、控訴人らの本件賃金債権も原則として履行期である毎月末日の経過をもって消滅時効が進行を開始するものと解するのが相当であり、右賃金請求権の在否・行使の可否についての控訴人らの主観的認識や経済状態や地理的条件といった控訴人らの一身上の事情による請求権の行使に対する事実上の障害は、時効期間の進行を妨げる事由にはならないと解すべきである。

してみると、控訴人李及び控訴人崔の主張に係る本件賃金債権については遅くとも昭和二〇年八月一日から、控訴人高の主張に係る本件賃金債権については遅くとも昭和二〇年一二月一日から消滅時効の進行を開始したものと解するのが相当である。したがって、控訴人ら三名の本件賃金債権はいずれも時効により既に消滅していることが明らかである。

3 もっとも、昭和二〇年八月一五日の第二次世界大戦の終戦(日本の敗戦)により朝鮮は従前の日本の植民地支配を離れて独立し、その後昭和四〇年六月二二日の日韓基本条約の締結及びこれに伴う諸協定によって日本国と大韓民国との間の国交が回復されるまでの間は、両国間に国交のない状態が続いていたという特殊な事情があるから、右の国交回復までの間においては控訴人らが現実に本件賃金債権を行使するについては、法律上の障害に準じた客観的な障害があったものとして、右の国交回復時をもって民法一六六条一項の権利を行使することができる時が到来したものと解しうる余地がある。しかしながら、右の昭和四〇年の国交回復時を本件賃金債権の消滅時効の起算点としたとしても、右の時点から、控訴人らが当審において消滅時効の中断事由として主張する遺族会会長による賃金請求時である平成四年六月二三日あるいは本訴提起時である平成四年九月三〇日までに、既に二六年余も経過しているのであるから、いずれにしても控訴人らの本件賃金債権について消滅時効が完成したことは明らかである。

4 なお、前記日韓国交回復の際の「財産及び請求権に関する問題の解決並びにに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」の第二条三項には「一方の締結国及びその国民の財産、権利及び利益であってこの協定の署名の日に他方の締結国の管轄下にある者に対する措置並びに一方の締結国及びその国民の他方の締結国及びその国民に対する全ての請求権であって同日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることはできないものとする。」と定められ、右協定を受けて制定された日本国の昭和四〇年一二月一七日法律第一四四号(本件措置法)の一条は「大韓民国又はその国民の財産権であって、右協定二条三項の財産、権利及び利益に該当するものは、昭和四〇年六月二二日において消滅したものとする。」と定め、同条一号には右の消滅の対象となる財産権として「日本国又はその国民に対する債権」を掲げており、当時の日本国政府は「日韓協定により日本と韓国との間の請求権問題はすべて解決され、日韓両国及び両国民は、相互に請求権に関するいかなる主張もできず、この請求権の中には朝鮮人労働者に対する賃金も含まれる。」との見解を示していたこと(乙六)が認められるものの、右日韓協定については当時から右政府間の協定によって両国民個人の有する請求権を一方的に消滅させることができるかについて法的な疑義が残されており、日本国政府は、平成三年八月二七日に至って「日韓協定は日韓両国が国家として持っている外交保護権を相互に放棄したもので、個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたものではない。日韓両国間で、政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることができない意味である。」旨の見解を明らかにしたこと(甲一九)が認められる。

控訴人らは、少なくとも日本国政府が日韓協定についての見解を改めた平成三年八月二七日までは控訴人らにおいて権利を行使することが不可能であったから、右同日以降を消滅時効の起算日とすべきである旨主張するが、日韓協定の法的効力の有無、範囲も最終的には裁判所によって判断されるべき事柄であるところ、前記昭和四〇年の日本と大韓民国との国交の回復によって控訴人らにおいても日本の裁判制度を利用して自己の権利を主張・行使することが客観的にも担保されたものということができる上、時の政府の法的見解の如何によって時効の起算日が異なるような解釈は、消滅時効制度の趣旨が権利の上に眠る者を保護しないことのみにあるのではなく、当該法律関係の早期確定の要請並びに一定の年月の経過によって証拠資料が散逸し、客観的事実関係の確定が困難になることを配慮したものであることに照らすと、法的安定性の面からも相当でなく、控訴人らの右主張は採用できない。

四  権利濫用の再抗弁について

控訴人らは、本件において被控訴人が消滅時効を援用することは権利の濫用であって許されない旨主張するが、右主張が採用できないことは、原判決の理由説示(一〇一頁初行目から一〇二頁三行目まで)のとおりであるから、これを引用する。

もっとも、前記第一の二(原判決引用)の控訴人らの陳述書や供述による昭和二〇年に祖国に帰国した後の生活状況や戦時中日本の軍需工場に就労していたことについての祖国独立後の微妙な立場等を考慮すると、前記のとおり平成三年八月に日本国政府が日韓協定に対する見解を改めたことを知り、これを契機として本訴提起に及んだ控訴人らをいわゆる権利の上に眠っていた者として非難することができないことは控訴人ら主張のとおりである。

他方で、消滅時効制度の趣旨は、前記のとおり権利の上に眠る者を保護しないことのみにあるのではなく、当該法律関係の早期確定の要請並びに一定の年月の経過によって証拠資料が散逸し、客観的事実関係の確定が困難になることをも配慮したものであるところ、昭和四〇年の日韓両国の国交回復から起算しても平成四年の本訴提起までに民法一七四条一号の短期消滅時効期間(一年)のみならず、一般債権の消滅時効期間(一〇年)や不法行為の除斥期間(二〇年)をも超える二六年余(昭和二〇年の控訴人ら祖国への帰国時からは四六年余)が経過しており、弁論の全趣旨によれば、現実にもこの間の年月の経過による当時の客観的な資料(賃金台帳等)の滅失あるいは散逸が賃金支払債務の弁済による消滅を主張する被控訴人の立証活動を制約していることも否定できないのであるから、この点からしても、被控訴人が本訴において消滅時効を援用することが権利の濫用あるいは信義則に反するものとして許されないということはできないというべきである。

五  以上のとおりであるから、控訴人らの賃金請求はいずれも理由がないことになる。

第三  国際人権法違反に基づく損害賠償請求及び不法行為に基づく損害賠償請求について

当裁判所も控訴人らの右各請求はいずれも民法七二四条後段の除斥期間(不法行為の時から二〇年)の経過によって許されないものと判断するが、その理由は原判決の理由説示(一〇二頁八行目から一〇七頁四行目まで)のとおりであるから、これを引用する。

もっとも、除斥期間といえども絶対的なものではなく、不法行為の被害者が不法行為の時から二〇年を経過する前六か月以内において右不法行為を原因として心神喪失の常況にあるのに法定代理人を有しなかった場合において、その後当該被害者が禁治産宣告を受け、後見人に就職した者がその時から六か月内に右損害賠償請求権を行使したなど特段の事情があるときは、民法一五八条の法意に照らし、同法七二四条後段の効果を否定するのが相当である(最高裁判所平成一〇年六月一二日第二小法廷判決・民集五二巻四号一〇八七頁参照)が、本件は右とは事案を異にし、控訴人らにおいてその意思能力に何ら欠けるところはなく、また控訴人らの本訴提起が不法行為の時から二〇年を経過する以前でなかったことが被控訴人の不法行為に起因するものでもないのであるから、同法七二四条後段の効果を否定するまでの特段の事情は認められないというべきである。

また、国際法上は重大な人権侵害については消滅時効や除斥期間の規定の適用が排除されるとの控訴人らの主張を民法七二四条後段の効果を否定する特段の事情として主張しているものと解するとしても、控訴人らの陳述書や供述によれば、控訴人らの被控訴人工場における労働環境・生活環境が良好ではなく、勤務は昼夜二交代制であって労働時間も長く、また頻繁に空腹を覚え辛い思いをした等の状況にあったことが一応認められるものの、同時に、本件が被控訴人会社において控訴人ら朝鮮半島出身の労働者を特別差別して過酷な労働条件下に置いたり監禁・虐待したといった重大な人権侵害を伴う事案ではないことも明らかであるから、この意味からしても、本件においては同法七二四条後段の効果を否定するまでの特段の事情はないというべきである。

第四  債務不履行に基づく損害賠償請求について

控訴人らは、損害賠償請求の根拠として、被控訴人の債務不履行(約束違反)をも主張するが、仮に右主張に係る債務不履行に基づく損害賠償請求権が発生していたとしても、昭和二〇年に控訴人らが帰国し、被控訴人の実質的支配から離脱して債務不履行による右損害賠償請求権の行使が可能になった時、若しくは前記のとおり遅くとも日本と大韓民国の国交が回復した昭和四〇年から一〇年の経過によって民法一六七条の消滅時効が完成したものというほかはなく、被控訴人において右消滅時効を援用していることは記録上明らかである。

そして、被控訴人による時効の援用が権利の濫用にあたらないことについては、賃金債権の消滅時効援用に関して説示したところと同様である。

したがって、控訴人らの債務不履行に基づく損害賠償請求も失当である。

第五  謝罪広告の掲載請求について

右請求が除斥期間の経過によって認められないことは、原判決の理由説示(一〇七頁末行から一〇八頁四行目)のとおりであるから、これを引用する。

第六  結論

以上の検討によれば、控訴人らの本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却すべきである。

よって、右と結論において同旨の原判決は相当であり、本件控訴はいずれも理由がないから棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官窪田季夫 裁判官氣賀澤耕一 裁判官本多俊雄)

別紙謝罪文〈省略〉

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